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問屋の仕事場から

2018.12.26
幻になりかねない本場結城紬

本場結城紬の生産(組合の検査ベース)は1980年がピークで31,288反を数えましたが、以降は減り続け昨年度の生産数はついに1000反を割り込んでしまいました。

この数には帯が20%ほど含まれ、着物として仕立てることのできる本場結城紬は700反を割ります。そして地機で織られているものは500反以下というのが現状です。ここ数年の減反具合は加速する一方で、負のスパイラルに陥っていることからQCDすべてにおいて問題が発生しています。

 

原料である糸がとれない

生産者の減少と高齢化で、特に糸作りができなくなっています。真綿から直接ズリ出していく非常に手間のかかる糸作り、多くは高齢者による内職によって支えられています。糸とりに従事する人の平均年齢は75歳以上、若い人の流入はほとんどありませんから、平均年齢の若返りは見込めません。そのままスライドすれば10年後は平均年齢85歳、15年後は90歳、20年後は。。。。

全員が100歳まで元気に糸取ができればよいのですが、日本人の女性の平均寿命は87歳、そして不自由なく健康に過ごせる健康寿命は75歳ですから、従事者はさらに減りつづけることが予見されます。

一本づつ糸をズリ出す手紬ぎの手法。

生産の現場では糸不足が表面化しています。糸のストックがないためすぐに染織にかかることができなくなりました。糸取から始めないといけないとなると、発注から納品までに少なくとも半年は要することになります。以前は3ケ月程度で織りあがってきたものが、半年以上かかる・・・ とてもインパクトのある障害で、中長期的な生産計画の見通しが立たないのは大変な問題です。

さらに反物を作る際には糸の細さが均一であることが望ましく、そうなると同じ人が採った糸に限って使用する必要があります。しかし十分な糸量が確保できないため、複数名で採った糸を組み合わせて織らざるを得なくなっています。反物の途中まではAさんがとった緯糸で織られていたけども、足りないのでBさんがとった緯糸に途中から変わるという具合です。

品質低下は不合格につながる。結城の検査組合は容赦なくNG判定を出す。

深刻化(表面化)する原材料不足をうけて、産地をあげて後継者育成に躍起になっています。仮に現在の1000反程度を維持するとすれば、毎年20~30人は新しく育成していく必要がありますが、結城の手紬糸は 「真綿かけ8年 糸つむぎ3年」 と言われるように、高品質の糸が取れるようになるには10年を要します。練度不足の人がとった糸は不揃いでなため着尺には使えず、帯などに使われる「2級品」扱いになってしまいます。それを10年続ける余裕が作業者、織元にあるかといえば困難でしょう。そしてできるだけ早く戦力となってもらうには、昔やっていた経験者に手をあげてもらうことが優先され、後継者を育成するという根本解決には結びついていません。

最上級の160亀甲細工糸、限られた人しか作ることができなくなった。

さらに糸取の賃金は出来高払いの内職のため、生活を保障できるような「仕事」にはなりえません。家庭内労働者や年金生活者の生活の足しにしかならないとなると、他にいくらでも割の良い仕事が見つかる若者は寄り付きません。工賃を上げる方向にも動いていますが、当然製品価格にもそれは反映されることになります。ただでさえ超高額品のさらなる高価格化は消費者に受け入れられるはずはなく、本当に限られた一部の富裕層の物になってしまうでしょう。

生産にロットが必要な詰め柄、大きな在庫リスクが伴う。

後継者不足が叫ばれてから久しく「だましだまし」作られてきた結城紬ですが、いよいよ糸不足が表面化、深刻化しています。細く繊細な160亀甲に使われるような糸は特に難しくなっています。昔は160亀甲の詰めの商品は珍しいものではありませんでしたが、よほどの気概がないと作ることができなくなってしまいました。現在ではその在庫リスクの大きさから、定番の100亀甲の詰め柄を作ることですら難しくなっています。ひと昔前は普通に見られたラインナップがどんどん姿を消しはじめ、多様性が消失しています。

 

そして本場結城紬は幻に・・・ 

和装市場が旺盛だった頃、結城紬にあやかった他産地の怪しい商品が氾濫、それらの多くは結城紬と似ても似つかぬものでした。しかし被模倣者であるはずの産地自らも結城紬のセカンドラインとも呼べるものを作っています。従来の材料、工法を捨てた廉価品は「本場」品を押しのけ、堂々と結城紬として流通するようになりました。本場結城紬の生産反数が下がるにつれて、数量的にはそれらの廉価品が主流になってしまいました。本場結城紬を仕入れることのできる余裕がある販売店も減りつづけ、消費者が本当の結城紬にふれる機会がなくなってしまいました。

結城紬の地機織の無地、一番シンプルなものであるが、それすら珍しいものになってしまった。

品薄感を煽るようですが、本場結城紬の手間のかかった商品は急速に姿を消していきます。全盛期だった頃の技術がかろうじて残ってはいますが、職人の健康状況が先か、機械設備の老朽化が先かといったレベルで風前の灯です。一度失われた技術を復活させることは困難で、今年作ることのできたものが、来年作ることができる保障はありません。そして結城紬は分業によってつくられていますから、一定のマーケットがなければスケールメリットを生かした商品作り、コストダウンができないのです。

いつかは結城紬をと思っている方は、そのうちではなく、まさに「今」作らないと、QCDすべての面で不利になります。

消費税の増税の影響もあってか、廣田紬では駆け込み受注をいただいていますが、本当に幻に、作れなくなるという危機感を持っていただきたいと思います。

 

結城紬本来の姿へ

結城紬の年間生産量はついに1000反を割り込み、地機で織られる着尺地は500反程度になってしまいました。この数字は各47都道府県の一番店が、一か月の商いでやっと一反売ることができるというレベルです。今後も回復の兆しが見えないことから、産業として立ち行かなくなる日も遠くないことが予見されます。

総詰め柄の結城紬、このような商品はもうなかなか作ることができない。

 

農閑期の副業、家内制手工業であった紬織は立派な生業に発展、一時は年間3万反以上を生産する地域の一大産業になってしまいました。さらなる付加価値が求められ、それまで縞一辺倒だった柄は経緯絣を駆使した複雑な柄が作られるようになりました。糸もどんどん繊細になり、一反の重さが500グラムを切る商品が珍しくありません。繊細な糸を使い、複雑な絣で織り上げる技術、はそれはそれで大したものですが、160亀甲細工の商品ともなると普段着としての耐久性に疑問を持たざるを得ないところです。

左が160亀甲細工に使われる糸、右が80亀甲の糸で織ったもの。厚みの差は歴然である。

糸不足が深刻化してくるようになると、粗野で太い糸を使わざるを得ない事態が発生します。それまでは帯などに使われていましたが、帯の需要がそこまであるわけではありませんから、それを着尺に使わざるを得ないようになるでしょう。本来結城紬はそういった糸が使われていたはずで、地厚(節を多く含む粗野な糸由来)だからこそ耐久性のある普段着として人気を博したのです。先祖がえりを迎えつつある結城紬、皮肉なことに糸不足が本来の良さを知ってもらうきっかけになるかもしれません。

 

本来の太い糸を使って織られたもの、地厚でしっかりしている。

 

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