畳の入れ替えを行った廣田紬の2階広間、お世話になった畳屋さん…
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問屋の仕事場から
- 2019.07.04
- 幻の高宮布の流れを汲む近江上布
伝統的工芸品に指定されている近江上布、その知名度の割には店頭で見かけることはなく、大変希少性のあるものです。かつて珍重された幻の高宮布の流れを汲む近江上布とはどのような織物なのでしょうか。
豊富な水源、湿潤な気候に恵まれた湖東地域(滋賀県、琵琶湖の東側)は古くから麻織物の産地として知られていました。周辺地域では農家のほぼ全戸が麻織物の生産に何らかの形でかかわりを持ち、江戸期には年間に100万反以上という全国有数の生産量を誇ります。
中山道の大きな宿場町であった高宮宿(現彦根市)には麻織物の集散地となり、その「高宮布」は近江商人によって全国に広められます。彦根藩に買い上げられた良質な高宮布は、将軍家への献上布になるほどの高品質なものでした。
他の産地の麻織物との大きな違いは、高宮布には大麻が使われていたことです。大麻は苧麻に比べ繊維長が短いため、糸にするのは更に手間がかかります。太い大麻糸で織り上げた布は粗く硬質感のあるもので、まさに野良着として使われていました。
一方、細く績まれた糸を集めて織られた「上布」は薄手で、晒したものは木綿布のように柔らかく極上の風合いになります。白高宮と呼ばれたそれは、最高級の麻布として知られる奈良晒よりも高い評価を得ていました。
時代の流れと共に手績みの麻織物は激減してしまいますが、戦後GHQにより大麻の栽培が禁止されると、大麻糸を手績みする産業、文化が失われてしまいました。代替え品として海外製の大麻糸や紡績の苧麻糸が使われるようになり、近江上布は湖東地域で作られる麻織物の総称として親しまれます。
そして昭和52年には伝統的工芸品に指定されることになり、リーズナブルな機械織の近江ちぢみと棲み分けがされることとなりました。
一口に近江上布といっても「生平(きびら)」と「絣」の2種類があります。
「生平」の指定要件には緯糸が手績みの大麻糸であることが必要で、現在でも手績みの大麻糸が使われています。着尺に使えるような大麻の糸はなかなか績むことができず、素朴な素材感を生かした帯の生産が主になっています。
そしてもう一つの「絣」、こちらは苧麻糸の使用が認められているため紡績糸が使われます。先染めの織物であることが条件で、昔は時代に応じた様々な染織技法が使われていましたが現在では小ロット加工に適した櫛押し捺染、型紙捺染(産地では羽根巻き捺染とも)が主に使われています。
製織は手織りであることが条件なため、どうしても高価にならざるを得ないのが残念なところです。かすり柄は手作業により一つ一つ柄合わせが行われ、意図した絣模様にしっかりと仕上げていきます。織りあがった後にシボ加工をおこなえば独自の「ちぢみ」の風合いで清涼感がさらに増します。
小千谷縮にもランクがあるように、近江上布は人の手仕事による「上等な近江ちぢみ」といってよいでしょう。その中で各種条件を満たしたものは伝統的工芸品として経済産業大臣が認定する伝統マークが付与されます。
大変手間のかかった近江上布の絣着尺、年間の生産数は一桁台で重要無形文化財に指定されている越後上布や宮古上布にも及びません。希少性の点において数ある麻織物の中でもNo1といえるでしょう。
近江上布「絣」には伝統的な手績みの大麻糸を使うことも認められていますが、現在携わる伝統工芸士は15名、その中で糸を績むことができるのはたった5名です。キャリア数十年の績み手が幾万人という規模で存在した江戸時代とは比べ物になりませんが、いつかは大麻糸を使って幻の高宮布の再現をしてもらいたいものです。
重文技法でつくられた越後上布/小千谷縮に触れた時には人の五感を刺激する感動がありますが、大麻が織り込まれた近江上布はそれらを超越した神々しさを放つことでしょう。
7月1日発売の家庭画報8月号においては、常盤貴子さんの産地訪問企画で近江上布が取り上げられています。近江上布の美しい着こなしをはじめ、湖国の歴史、風土のこと、是非ご覧いただければと思います。