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問屋の仕事場から

2020.04.25
結城紬(縮織)の兵児帯

前回紹介の石摺り紬の兵児帯、ただでさえ贅沢な諸紬の兵児帯でしたが、更に贅沢の極みともいえる結城縮の兵児帯が存在します。

結城紬の全盛期、昭和の50年頃には3万反ともいえる規模で結城紬の生産が行われていました。800反程度となってしまった現在とは比べ物にならないくらい、産業としての厚みがあったのです。

そんな全盛期の頃、廣田紬においても様々な商品展開を行っており壁紙、額装生地、座布団生地と着物以外にも結城紬の生地を販売していました。着物用の小幅(38センチ)では効率が悪く、50センチ(地機で織ることのできる限界)以上の広い幅の生地が作られていました。

地機の模型、幅(矢印の箇所)が決まっており、広巾は特注の機が必要になる。

今回紹介する兵児帯も50センチ以上の巾があり、現在では製造困難なものです。

※こちらは参考品につき非売品となります。

結城紬の兵児帯は他社からでも製造されていますが、こちらは広巾で縮織りというところがミソなのです。

末端の縢りはピコミシンで縫製処理されている。

縮織りは緯糸に撚糸が使われているので生地に耐久性があります。ラフに頻繁に使うことが予想される兵児帯はありがたいことで、長く使うことができるでしょう。

無地場は鼠色を緯糸に使った刷毛目と呼ばれるもの、結び目に近い織り端は利休茶のツートンカラーにっています。他には藍色など数種類のカラバリがありました。

経糸は茶、緯糸は鼠の刷毛目。

製造していた当時はカラーバリエーションも豊富で、専用の箱まで誂えていました。組合の検査をあえて通していないため、証紙類は一切ないものでしたが、小売価格は25万円ほどだったようです。

別誂えの箱、左端には廣田誂えの亀甲のエンボスが。

着物人口が減り、このような贅沢な帯を締める文化も徐々に失われていきます。30年以上に渡って作り続けた結城縮の兵児帯でしたがついに機が維持できず生産中止へ。

残った特殊な広幅の生地は座布団生地にも使われ、在庫は払拭しました。

贅を味わい、粋を纏っていた幸せな時代のノスタルジー、結城縮の兵児帯の紹介でした。

 

 

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