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問屋の仕事場から

2018.11.18
浮き織の美 吉野間道の帯 

吉野間道とは浮き織で縞や格子を表現した織物で、織模様でデザインされた独自柄はたくさんのファンを魅了してきました。

吉野間道、言葉を分解すると吉野の間道。間道(かんとう)とは縞模様のことを指します。由来は広東からの渡来布に使われていたという説がありますが、古来から茶人に好まれていたようです。そして「吉野」の名前の由来は寛永年間、京都の豪商であった灰屋紹益が島原の名妓「 吉野 」太夫に贈った名物裂に由来しています。

※「吉」の上の部分は正確には土

技法的には平織に糸を浮かせた浮き織を連続させたもので、浮き糸が連続する部分は真田紐のような調子に見えます。

冒頭の商品画像は藤山千春さんによる九寸名古屋帯、吉野間道の代名詞といってよいほど有名で、主催される錦霞染織工房では草木染にこだわった染、吉野間道を多用した作品が作られています。

経緯のテンションの違いから平織の箇所が畝って見える。

組織を拡大してみてみると、緯糸が経糸を複数本またいで浮いていることがわかります。そして浮き織でない平織の箇所は張力の違いで湾曲した模様になっています。この畝織と呼ばれる組織を強調して、さらに表現の幅を広げることができます。畝織になっている箇所が二つ連続するとメガネ(∞)のように見えることからメガネ織との名称もついています。

畝織の箇所が、細長いメガネのように見える。

糸が浮いている箇所は糸のボリュームが倍になりますので地厚になります。浮き織の箇所は絹糸に側面から光が当たり反射することから豊かな光沢を放ちます。平織のベースとのコントラストの差は色の違いによるものだけではないのです。

 

こちらは藤山氏の作品ではない別の工芸帯、こちらも草木染にこだわって作られた逸品です。

経絣糸も併用されたこだわりの九寸名古屋帯。

間道とは縞のことを指しましたが、縞を経緯で交差させると格子になります。経糸を浮かして縞を作ったものは縦吉野、緯糸を浮かせて横縞を作ったものは横吉野、両方を組み合わせたものは吉野格子とも呼ばれています。

糸を浮かせる間隔が長い浮織り、簡単に組織が寄る。

吉野格子は帯だけではなく着物にも使われることがあります。着物の場合は要注意で、ちょっとしたアクセント程度に施されているものが好ましいかもしれません。あまり多様しすぎると着物自体が重くなりますし、浮き糸が多いと擦れて切れてしまい耐久性の面で慎重にならざるを得ないからです。

間道を横に配列した着物、全面使用せずにアクセント程度がちょうどよい。

 

 

また、琉球の織物である首里織の一つに道屯織というものがあります。

祝嶺恭子さんによるロートン織の九寸名古屋帯。

ロートン織りとも呼ばれ、経糸を浮かせて立体感を演出する織技法は縦吉野に分類してもよいでしょう。その昔は王侯貴族など許された人にしか着用が許されなかった首里のロートン織、他のおしゃれ帯とは違う気品のある色調に仕上がっています。

 

吉野間道は素人目に見るとさぞ複雑で高価なものであろうと想像しますが、実は身近なところでも多用されています。

こちら工芸帯等ではなく、実はその辺に置いてあった木綿の風呂敷。特に高価なものでもなく数千円程度で販売されているものです。組織は同じパターンの繰り返しなので、いったんプログラムさえ組んでしまえば自動織機で高速で織り上げることも可能なのです。

しかし自動機で均一に作られた布はどこか味気ない気がします。配色や間隔に凝ってデザインされた手織りの作品は実際に手に取ってみると味わい深く、人間の感性に訴えかける手仕事の美が伝わってくるのです。

嘉永時代の綿間道古裂、地味な色使いだが尊い手仕事の美が光る。

伝説的な名妓であった吉野大夫、その才色兼備の噂は海を越えて明まで轟いたほどです。豪商、灰屋紹益に身請けされ本妻となりますが、美人薄命37歳という若さでこの世を去ってしまいます。残された紹益は彼女を偲びながら毎日酒に遺灰を混ぜて飲んだといいます。

現在は浮織りの美として伝わる吉野の間道、作り手のメッセージが伝わる逸品に出会えたときの喜びはひとしおです。