綿薩摩(薩摩木綿)は需要に共有が追いつかない、流通サイドでも…
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問屋の仕事場から
- 2021.10.02
- 生産が終わった備後絣 〜ノスタルジーではない産業の礎〜
備後絣は広島県福山市域で作られている綿織物で、伊予絣、久留米絣とともに日本三大絣として知られています。
藍色をベースにした生地で、経緯の小絣が特徴の織物ですが、商品を店頭で見ることはなくなってしまいました。
備後地区(福山市)では江戸時代の初めから藩によって綿花の栽培が推し進められ、綿織物が発達します。江戸末期に富田久三郎が絣技術を取り入れて「備後絣」が開発されます。機械化(紡績糸の登場、織機の改良により製織スピードが数十倍にも上がり、絣作りまでが自動化)の進んだ近代にかけて生産が急増、最盛期は200軒を超える機屋が稼働、地域の主要産業にまで上り詰め、一時は日本の絣織物の7割、300万反以上という生産数を誇っていました。
現在では着物需要の減少により現在では着尺の生産はゼロ、数年前に最後の機屋さんが惜しまれつつも機を止めてしまったのです。
※現在はシャトル織機を使った洋装幅の生地が生産されています
しかし産地自体はライフスタイルや時代の変化に合わせ、時代の変化に即したものを製造、現在は合成繊維や帆布、ユニフォーム、ありとあらゆる繊維製品の産地として大きな発展を遂げています。伝統にこだわることなく、不採算商品の製造を思い切って止めて、他にリソースを振り向けて発展させた備後地区は他の和装産地とは決定的に違う道を歩んでいるのです。
・伝統の織物は衰退したが、派生産業が生まれ育ち、雇用に大きな貢献して地域が活性化する。
・伝統の織物は存続しているが、産業として育たず、地域自体も存続の危機にある。
上記を比較したとき、地域社会としてどちらが好ましいかは自明の理ですが、備後絣は博物館の中のノスタルジーとなるにとどまりません。
昔ながらのモノ作りは終了してしまいましたが、デニムとの組み合わせや、Tシャツやバックなどに「備後絣」ブランドが活用されています。
今回、紹介した備後絣ですが、数年前に生産を打ち切ったことを調達依頼を受けるまで知りませんでした。なんとか機屋さんの在庫から手当いたしましたが、年間生産数300万反、絣織物の70%というシェアを誇ったアイテムが人知れずひっそりと生産をやめていた事実は驚きです。現代を生きる多くの方にとってインパクトのあるニュースではないのかもしれませんが、福山の繊維産業が続く限り、その礎となった備後絣はこれからも人々の記憶に刻まれていくことでしょう。
幾千万反と生産された備後絣、現在では製造はされていませんが、ヤフオクやメルカリを中心とするフリマアプリで難なく手にすることができます。製造から数十年経過しており、服地に使える強度があるかどうかは定かではありませんが、小物作りにはぴったりです。
手軽に楽しめる木綿の絣生地として手にしてみてはいかがでしょう。