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問屋の仕事場から

2018.04.03
手紡ぎ綿のぬくもり 丹波布の着物 

丹波布のきもの

糸づくりから人の手による手仕事で行われる織物は結城紬(絹)や越後上布/小千谷縮(麻)が有名です。古代から伝わるその技法はいずれも国の重要無形文化財に指定されており、究極の贅沢品として着物好きの垂涎の的となっています。今回は同じ手紡ぎの糸(綿)で織り上げた丹波布の着尺を紹介します。

 

綿の高級着物というと久留米絣(重要無形文化財)や薩摩絣(綿薩摩)が知られています。これらは細い番手の紡績糸が使われており、絹とは違った綿特有のやさしい風合いをもちます。

藍染めの丹波布

一本一本の糸目が肉眼で確認できるほどの太さで織られている丹波布。。

一方、丹波布には手紡ぎ糸が使われており、ざっくりとした独特の風合いが特徴です。人は超長綿(エジプト綿や海島綿のような繊維の長い高級綿)の繊細な風合いを上等だと感じますが、丹波布はそれらとは相対する粗野なものに感じるかもしれません。短い繊維長の品種を使うため、糸が太くならざるをえず、ずっしりと重量感のあるものです。しかし柳宗悦が見出したその風合いからは、何ともいえない人の手の温もりが伝わってくるのです。人の手仕事によってつくられた、しっかりと頼りがいのある地風です。

お約束の絹つまみ糸が走る、渋い色味の中でキラリと光るアクセントになっている。

このような人の手仕事によって作られた貴い布は全国各地で作られていましたが、時代の波にもまれて次々に廃れていきます。価格訴求力に劣る綿素材の織物は真っ先に淘汰され、丹波布もいつしか忘れ去られてしまった布の一つでした。たまたま京の朝市で柳宗悦にその素朴な美しさを見出され、その幻の布は丹波布(たんばぬの)と名づけられます。

有志により丹波布復興協会が立ち上がり、選択無形文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形文化財)に指定されるまでになりました。このような復興の取り組みはいつしか立ち消えてしまうものが多いのですが、布を愛してやまない人々にしっかりと評価されたからでしょう。

手仕事の糸づくり、地元の自然素材を使った染め、丁寧な手織りの味は、人類が太古の昔から紡いできた染織文化を今に伝えるものなのです。

 

真に貴い丹波布

人類は数千年前から綿花を栽培し、綿を集めてほぐし、糸車で紡いで糸を作り、土地の風土に相応しい布にしてきました。

日本においても全国各地で和綿がつくられており、明治の中ごろまでほぼ100%を自給していたのです。現在では統計レベルでの自給率は0%、ごく一部の有志が栽培するのみになっています。

たくさんの綿花

棉(植物)と綿(塊状の繊維)。綿毛を摘みとり、ほぐし、引きそろえ、糸車で紡ぎ、糸にする。

紡績機械で作られる糸は細く均質な糸質を作ることができます。綿の繊維をまとめて化学薬品で処理、繊維の方向を引き揃え、同じ太さになるように強い圧力を加えて引き出しているからです。一方、糸車を使い人力で撚り紡がれた糸は太く、太さにムラがある粗っぽい糸質になります。

紡がれた綿糸、三角錐に次々に巻かれていく。

手紡ぎされた太い綿糸で丹波布の着尺(幅約38センチ)を織る場合、経糸の本数は600本程になります。これは細い紡績糸で織る場合の半分ほどの本数です。

ランダムな表情の表面

生地を拡大。一本一本が手作りのため、太さがまばらである。

一方、糸が太いということはそれだけ生地が重くなり、ザックリとした風合いにしあがっています。糸が太い分、多少ごわつきわありますが、糸に無理な力を加えていないので生地の表面からやさしさ、ぬくもりが伝わってきます。

ちぢれた糸

ちぢれ麺のような手紡綿。ふんわり優しい糸はまちまちに異なる太さである。

丹波布は地厚なので帯に適していると思われがちですが、耐久性の観点からすると普段着として理にかなった生地と言えるでしょう。従来、庶民が着るものとして各地で作られていた綿織物はこのようなものであったはずです。丹波布は繊細化で付加価値をつけようとする他の織物に対するアンチテーゼともいえます。

地元の自然染料を使い、古来からの縞格子のシンプルデザイン、その潔さでは結城紬も越後上布もかないません。真に貴い布として丹波布は伝え続けられているのです。

 

糸を繰るガンジー

機械文明化に警鐘を鳴らしたガンジー。物質的豊かさは人類に禍根を残した。糸車は建国のシンボル。

 

珍しい緑系の着尺、粋な多色の縞割。

手仕事の布は生地の表情が豊かで美しい。


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