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問屋の仕事場から

2017.11.29
久米島紬 ユイ(結)の精神が生きる幸せの織物 

日本の紬の原点ともいえる久米島紬、国の重要無形文化財にも指定されている織物です。紬のお手本ともいえる素晴らしい風合い、島に自生する植物、大地の泥を使った染めは紬ファンの心を捉えて離しません。今回、久米島を訪れましたので久米島紬事業協同組合(以下組合)、併設されているユイマール館の紹介を踏まえつつ、久米島紬をとりまく現状について考えたいと思います。

 

久米島は那覇から西におよそ100㎞、空路で30分ほどのところに位置しています。人口は7500人あまり、農業と観光業を主な産業とする島です。かつて紬づくりはサトウキビに次ぐ島をあげての一大産業となっていましたが、携わる人は減り続け、いまでは一部の集落で行われるのみになってしまいました。

久米島紬は昔は琉球王国、薩摩藩の貢納布として、女性に課された人頭税としての悲しい歴史をもちます。明治になり重税から解放された人々は独自の改良を重ね、久米島紬の増産にかかります。大正の終わりごろには4万反を数え、沖縄を代表する織物として名を馳せるようになりました。

しかし恐慌による不況や類似品の跋扈で生産は減り、戦時体制下の材料供給制限により産業レベルでの生産ができなくなります。戦後は養蚕体制が確立され、徐々に生産が増えていきます。沖縄の織物ブームや重要無形文化財の指定など、生産が増えることがあったものの、現在の生産数は約600反あまりになっています。

久米島紬は染から織、仕上げまで一貫して一人の職人が責任をもつことに特徴があります。中心となるのが久米島紬事業協同組合(以下組合)で、材料の調達から生産に必要な機材の貸し出し、商品の検査、販売まで取り纏めて行う元締め的存在です。

マジャの集落の端に位置する組合、裏には豊かな里山が広がる。 GoogleMapより

島の西端に位置する空港から車で20分あまりのところに組合はあり、隣接する真謝(マジャ)の集落には久米島紬に関わる人たちが住んでいます。裏山には染色材料となる草木が豊富に茂っていて、人と自然が共生する豊かな里山に囲まれている環境です。

組合の入り口、打ちっぱなしのカベには絣模様が彫られている。

そして組合にはゆいまーる館と呼ばれる久米島紬の資料館も併設され島の観光名所にもなっています。久米島紬の歴史の解説から生産に必要な道具、草木染に関する資料まで、久米島紬にまつわる様々な資料を見ることができます。織体験や染色体験も可能で、久米島紬を使ったバックや名刺入れなどのお土産を購入することもできます。

また、施設の周りには草木染に使われる草木が植えられ、見学者は染色材料のもとになる植物が実際にどのようなものか見て触れることができます。

組合の駐車場脇に生えている草木、すべて島に自生する植物である。

各植物染料から染まる色の見本。どれも植物染料由来の優しい色味である。

久米島の赤茶けた泥は大島紬とまた違う色味で、顔映りがよりよく見える。

組合の裏の作業場では染めや、糸括りなどの協同作業が行われていました。特に染めの工程は夏の強烈な日光を避け、低湿度で糸の乾燥が早い秋が適しています。山から採集した植物を細かく砕き、釜で煮出し、何度も染めを繰り返します。色を出すのに定量的な管理はしませんので、作業ごとに違う染め上がりになります。

手間のかかる作業は複数人で助け合って作業します。沖縄の方言で「ゆいまーる」はユイ(協力して働く)+ マール(順番に)=相互扶助 ということで、久米島は親戚や集落の人が作業を共同して助け合うユイの精神が生きているのです。

訪れた際にも数人がボールの中に入った豆を潰し汁を出す作業をワイワイ楽しくされていました。みんなで他愛ない話をしながら協同で作業を行う、久米島紬はそんな幸せな時間と共に作られていることが垣間見えました。

染色材料を煮出す作業など、人出の必要な場合は皆で助け合って行う。

集落の文化としての久米島紬

組合理事長の松本さんから久米島紬の現状をきくことができました。

最盛期には4万反の生産を数えた久米島紬、20年程前には組合が扱う反数は270反まで落ち込みます。その後1200反まで復調したものの、ここ数年は600反あまりと低空飛行が続いています。生産数の増減が極端だった理由の一つに、販売を限られた業者に絞り、販路を分散化してこなかったことが挙げられます。一社からの発注に頼ってしまうと在庫調整の影響をダイレクトに受けることになります。その反省から現在では複数の問屋を通じての流通方式に改められたため、需給バランスは落ちつくようになりました。無理に生産高を追求することなく、後世に伝えていければというスタンスです。

現在、久米島紬に携わる人(組合員登録)は100名以上を数えますが、一人あたりの生産数に換算するとほんの数反になります。これでは到底生業として成り立ちません。産業というよりは文化としての側面を持つといってよいでしょう。しかし久米島紬に限ったことではありませんが、本来は文化事業として公の補助に頼ることは好ましくありません。流通の立場としても活力ある産業として久米島紬の再興が望ましく思えます。

かすれが美しい絣、久米島紬の魅力は手仕事の味がしっかりと伝わることである。

よく考えてみると他の織物に比べ久米島紬は価格競争力の面で不利と言わざるを得ません。生産システムが分業化されていない上、すべて自然の染料を使い、昔ながらの手法で作られるとなるとどうしても厳しい面があります。しかしそれを差し引いても、有り余る魅力が久米島紬にはあります。日本にはたくさんの伝統工芸織物がありますが「久米島紬が欲しい」などと、わざわざ消費者から指名されるような織物は数少ないのですから。

各織物産地では事業の存続が危ぶまれていますが、久米島紬については少し楽観視できそうです。工程が分業化されていない点もありますが、決して生業として儲かるものではないにもかかわらず、皆がユイ(結)の精神で幸せにモノづくりをしているからです。あまり外部(流通の立場)からとやかく言うのは野暮かもしれません。集落の人々の幸せを織り交ぜて作られる久米島紬、これからも変わりなく作り続けられることでしょう。

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