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問屋の仕事場から

2018.04.08
国境の島で進化する与那国花織

日本最西端の与那国島で作られる与那国花織、孤島という難しい環境のなか、和装品としての消費者ニーズに対応するため素材や色彩、柄を独自に発展させてきました。

与那国花織は生糸を使用するため、大島紬のように風合いはとてもしなやかなものになっています。紬地とは異なり光沢のあるサラッした生地はとっておきのおしゃれ着として活躍してくれるでしょう。

柄の特徴は格子柄を組み合わせた花織で、花(星)と呼ばれる四角い点の集まりが散りばめられていることです。花織は綜絖を使い織で文様を浮き上がらせる紋織技術です。与那国花織は裏面に遊び糸が通らないタイプの花織ですので単衣に仕立てて使用することができます。

表(写真奥)裏(写真手前)との比較。格子の中に模様がある与那国花織の典型的な柄。

どちらが表ですかとよく質問されますが、浮糸の色が目立つほうが表になります。表裏を比較してみると、花織になっている箇所の色が異なるのがわかります。表は緯糸が浮き上がり、裏は経糸が浮いています。色糸が浮いて集まるとパッと花が咲いたような効果が得られるわけです。

別の商品でもう一度確認してみます。

左が表生地、右が裏生地。ピンク色の横段はグール(紅露)で染めたもの。

表(左)裏(右)の拡大図。表はピンクと黄色の緯糸が浮き上がっている。

表裏の生地を拡大してみると、緯糸が浮き上がってコントラストを作っていることがわかります。鮮烈な濃い色を浮かせるとなると、全体の色味も濃くなってしまいますし、地色とのバランスを考慮する必要があります。染料は主に島に自生する草木からとれた植物染料が使われていて、優しい色合いが目立つ傾向にあります。

 

花織は沖縄の織物の特徴ですが、今では織でアクセントを生むことのできるデザインとして様々な織物で多用されています。与那国花織は比較的シンプルな紋織りですので、ジャガード織機などによる製造が容易にできてしまいます。

実際に沖縄以外の産地で自動織機を使った花織の商品も展開されていて、本来であればこれらの商品との差別化が必要です。

写真の商品、実は他産地の自動織機で織られた花織です。デザインは少々異なりますが、価格は与那国花織の数分の一というもの。自動織機で織られた「花織」と、織り上げるまでに一カ月かかる与那国花織ではコストの観点ではまったく勝負になりません。

それにもかかわらず与那国花織が作り続けてこられたのは「与那国」ブランドの希少性のおかげではありません。人がこの布を前にした時に直感で良いものだなと訴えかける迫力を備えているからです。定量化が困難な手織りの味わいですが、布好きであればやはりこだわりたいのです。

小さく、シンプルな柄も

一風凝ったパターンも作られている。

進化し続けた与那国花織

与那国花織は長い歴史があると思われていますが、現在織られている技術自体は明治に入ってから伝えられたものです。和装用の着尺として本格的に作られだしたのは1965年に工業振興奨励補助事業で高機が導入されてから、最初は綿や麻を使っていましたが、付加価値を求めて絹(生糸)に置き換わっています。ハンデを抱える離島になんとか産業を根付かせようと町をあげての援助が続けられ、1987年には他の3種類(ドゥタディ、シタディ、 ガガンヌプー)と共に国の伝統的工芸品に指定されました。現在では都会に溶け込むモダンな色調の商品展開をするなど、消費者のニーズをとらえた物作りがなされています。

台湾の海岸線まで僅か100㎞程、単なる南の島でかたずけられない国境の島でもある。 google Mapより

与那国島といえば天皇皇后両陛下の訪問や自衛隊の駐屯で話題となりましたが、よほど地理に詳しい人でないと位置関係すらわからないでしょう。東京から一番遠い自治体であり、台湾を遠望することができる日本最西端の孤島です。本土からの直行便はなく、那覇か石垣島経由で行くしかありません。離島ゆえに調達、流通コストが高く、人口2000人に満たない小さな島(周囲27㎞)では有力な産業が育ちません。

しかしアクセスが不便な孤島でこそ守られる自然や文化があります。琉球の支配が及ぶ500年前は独立国で、他の先島諸島とも異なる独自の与那国語が話されていました。

与那国花織は結城紬や越後上布などと違い技法の条件縛りが緩い分、自由度を持たせた物づくりが可能です。他の産地の技術や柄の後追いだけではなく、独自の発展をすることで与那国織の更なるブランド化は十分可能でしょう。

与那国の自然と文化が織り込まれた美しい布、今後の物づくりの方向性が楽しみな産地です。

花織を意匠化した組合のシンボルマーク。


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